「反乱 鈴木宗男」の真っ赤なウソ

雲形池
「反乱 鈴木宗男」を読んだ。
タイトルを見て奇異に思い広辞苑をひいてみた。そこには
はんらん(叛乱、反乱):支配体制や上からの統率にそむいて乱を起こす事 とでていた。
02年12月17日(第3回鈴木宗男公判)の日比谷公園・雲形池の鶴の噴水

今回の出来事によって国民に政治不信を招いてしまった事を深く恥じ、それを「自ら起こしてしまった反乱」という意味を込めて、反省の書を出したのかと思ったところ、さにあらず、悪いのは検察とマスコミで自らはまったく悪くない、陥れられたとの内容。読んでいて開いた口がふさがらなかった。

衆議院議員としては戦後最長の拘置をされ、事件関係でこの間に亡くなった方、廃人同様になった方がいる事からも、少しは来し方を振り返り再出発の糧にしたのならともかく、まったく反省のかけらもない事に正直憤りさえ覚えた。選挙目当てのプロパガンダとしていくら割り引いてもこの自己中心的で、品性のかけらもない内容には怒りを通り越して、あきれ果てたとしか言いようがない。

新緑の雲形池
第32回被告人質問までの公判廷から、この本が主張する「悪いことはしていない。しかし、もしかしたら脇の甘いところがあって、それが何者かに付け入る隙を与えたのかもしれません」との言葉のウソと、その破廉恥さを検証していこうと思う。
まずこの本の章立てのひとつに「私が勾留され続けた理由」というのがあるが、何故437日もの長期間に渡り勾留されたのか、この本には何ら本当の事は語られていない。
3回の保釈申請を「証拠隠滅の恐れがある」との検察側の主張を受け入れ、東京地裁は却下した。8月29日の4回目の申請時点で、検察側の主な立証は終わったとして、やっと保釈が許可された。

それまでの18回の公判廷の4人の証言から、反乱鈴木宗男に書かれたような検察の悪意に満ちた恣意的なものだったのか否か、まずそれを明らかにし、その後法廷でのウソと中傷・誹謗の数々を記していきたい。