第7回公判

こんな事は氷山の一角、もっと大きな金の疑惑があります

平成15年2月24日(月)雨
雲形池
朝方は小ぬか雨だったが日中には風を伴った氷雨に変わり夕方には霙になる寒い一日だった。
今回も先着順で、定刻9時40分に傍聴券の交付を受けたのは14人のみだった。
前回検察側の尋問で「総てを話す事に決心した」との発言があり、その通りの証言をしていたので、弁護側がどんな反対尋問をするのか興味があったが、今回も「山田勇雄が作ってきたものへの決別をする」「私一人の判断で幕引きをする」などと語り、決意は固かった。
みぞれ模様になった昼休みの雲形池は鶴の噴水も心なしか縮こまって見える冷たい景色だった。                         平成15年2月24日        

さすがと思わされたのは、大室主任弁護人。8月4日面会当日の官房副長官室の配置やその時の訪問者など、初めての人間ではナカナカ覚えてはいない事に質問を集中させていた。記憶の曖昧さをクローズアップさせて、証言の信憑性に疑義を持たせようとしたのだろう。

逮捕許諾請求手続き中の02年6月18日に、鈴木被告が衆院議院運営委員会に無実を訴える弁明書と共に提出した、山田社長の陳述書に対する弁護側の尋問はまったくかみ合わないものだった。そしてその後の検察側の尋問で見事などんでん返しがなされた。
ミツマタ
今、当時の新聞を見ると連日宗男疑惑のオンパレード。しかも外務省との癒着が大いに問題になっていた。それが一度は捜査を断念したやまりん事件で起訴したのは、誰しも本格捜査への入口と思った。別件逮捕的な意味あいで、いずれは本丸に迫るものと思った。しかしながら外務省関係での起訴はないまま捜査は終結してしまった。

北海道で鈴木宗男と親しかったという傍聴人の一人が「こんな事は本当に氷山の一角。彼にはもっともっと大きな金に絡む疑惑が山ほどありますよ」と言っていた。

雲形池
やまりんの会長の山田勇雄氏は平成14年に高齢でもあったが失意の内に亡くなった。自分の築いた王国が音を立てて崩れる様を見ながらの死は、身から出た錆とはいえ耐え難いものがあったろう。
  同じような叩き上げで、のし上がる為には金が総てでその目的だけに突っ走ってきたのが鈴木宗男なのだろう。
ここでストップがかかったのは当然の成り行きと思うが・・・・。
冬でも暖かい日ならお弁当を食べる人が見られる雲形池畔のベンチは人影すらも無かった。      平成15年2月24日

それにしても山田哲社長は暗い。顔色もよくなく、公判中ほとんど顔を上げる事がなかった。ノイローゼそのもののような印象だった。2代目の弱さと片付けるにはあまりにも酷な姿だった。