第13回公判

入閣候補にノミネートされ何かと物入りだろうから

平成15年5月30日(金)晴
雲形池
実習授業の一環なのだろうか。学生の傍聴者が多く、全部で30人くらいはいたようだ。でも、決まって彼等彼女らは午後の法廷には現れない。
陽光につつまれた雲形池は緑の木々に囲まれ明るく輝いていました

第11回公判は欠席、第12回は午後からだったので不明だが、今回初めて鈴木宗男は入廷済みだった。これ以降は総て被告が先に入廷していて、後から傍聴人に入廷許可がでるようになったので手錠腰縄姿を見る事はなくなった。

今日の証人はやまりんの大番頭格の子会社の社長。中標津の町会議員を36年も務めただけあり終始落ち着いた証言だった。入退廷時にはキチット被告に向かって挨拶をし、法廷という場でも少しも臆する様子が無く自然体だった。
ノゲシ

鈴木被告が中川一郎の秘書時代から親しい関係だったが、中川代議士死去時点では後援会が3分裂しており、一時期あまり中枢には入らず単なる支援者でいたが、高名な政治家(金丸信)の斡旋があり、それ以後やまりんグループ挙げて鈴木宗男支持を決めた。

平成9年8月末、北海道横断道路の着工順位をめぐって北海道庁建設部長の依頼もあり上京した。鈴木代議士は選挙対策もあり、地元の釧根地区の高速道を優先的に進めていたが地域活性化の為には札幌と結ぶ夕張・十勝・清水高速道路の着工を優先させるべきとの依頼をする為だった。

8月28日に上京し翌29日に鈴木事務所で会い封筒に入れた100万円を本人に渡し、多田秘書に領収書の内訳を伝えた。この献金は鈴木が入閣候補にノミネートされており何かと物入りだろうから使って欲しいとの趣旨のものだった。夜赤坂の焼肉屋で鈴木議員と多田秘書と新任の建設部長他3〜4人と夕食。代金は証人が払い、宴席は世間話で座が弾んだ。

翌10年5月末に盗伐事件の連絡を受けてやまりんの経営の浮沈にかかわる問題と驚き、やまりんつぶしに走っている代議士の有力な後援者に仲介をお願いしたが手遅れだった。
カタバミ

8月4日のやまりんグループ挙げての上京の折についての証言では、その時のお金の趣旨は山田会長の考えとしては「お礼」、自分たちの気持ちとしては「お祝い」だった。

その後9月に釧路地検の大規模捜査が入り「喪が明けたら云々」は消し飛んでしまった。

平成14年5月20日頃から釧路で東京地検の取調べが始まり、作成された供述書は内容的には間違っていなかったが全体の文意は不本意なものだった。

カタバミの花は普通5月〜7月に咲きますが、早い時期からも普通に見られました。
平成15年5月30日