第32回公判

やまりんグループと言うのは検事が作った言葉だ

平成16年5月14日(金)晴後曇
雲形池
先着順の列に並んだのは17名。中に修学旅行の女子高生らしき5人も居た。
水野谷主任検察官が4月に転勤した為か、検察官は吉田、北薗の2人のみ。弁護人は4人のフルメンバー。
本日の若い岩本弁護人による被告質問は前回弁護側から提示のあった鈴木事務所の職員が個人的に作成していたとされる日程表の抜粋(平成9年7月から10年8月まで)に基づいて行われた。
雲形池の周囲の緑が一段と濃くなり夏の訪れ間近を告げています 04年5月14日

最初に平成9年10月1日、2日の日程表によると、やまりんの山田勇雄会長らが北海道開発庁長官祝いの宴席を設けてくれた。そしてこの時に山田会長名、哲社長名で各150万円が届けられた。そして根室管内の女性の集いの時など、機会ある毎にやまりんだけではなく子会社の社長からも個々に献金がされた事などが語られた。あっせん収賄とされた平成10年8月4日も就任祝いの政治献金のひとつに過ぎなかったと語られた。

鮮やかな赤色です
また、取調べの段階で谷川副部長から初めて「やまりんグループ」という言葉を聴かされた。それまでは別々の独立した会社と思っていた。それ故8月4日の時も政治資金規正法の範囲内で、それぞれが云々と言っていた事も鮮明に覚えている。「やまりんグループというのは検事が作った言葉だ」とかなり感情的な調子で述べていた。

島田建設関係では11月3日の国務大臣就任祝いでは島田社長と会っている可能性は勿論だが、2人で 話す時間などは無く、前日に先代の墓参りに行った時もゴルフを途中で切り上げて帰ってきた筈で、ゆっくり話しなどしている時間はなかった。それなので調書を読んだ時にはできすぎた話だと思った。社長が上京した 時も自民党のセミナーで話などは聞ける状況ではなかった。ただ後藤部長からは島田社長が来たとの話はあった。と自身が工事の依頼を受けている時間などは無かったと主張した。

オキザリス
日程表についてのの細かい質問が続き、「確かそうだったと思う」とか不確定な答えが多くなったところで吉田検察官から「記憶が定かでない事をさらに細かい事を聞くのは云々」との異議が出された。それに対し「恣意的な異議ではないか」と鈴木被告が鼻白む一場面もあったが、11時45分頃岩本弁護人の質問終了。
日比谷公園の人目につかない一角にオキザリスが一面に花をつけていました

被告人質問では役人の事は「所属長の私が来ているのだから部長達は勿論」とか、「取調べの時には」という時には必ず谷川副部長の名前を出すとか話の節々、言葉の端々に権威主義的な匂いがプンプンした。上には弱く下には強い恫喝政治家の本性を窺わせるに充分な語り口だった。

それにしても今日の岩本弁護人の被告人質問は落ち着いて堂々たるものだった。初期の素人の私が聞いても おかしな質問をしていた姿はまったく無く、大きく成長していて約1年半の時の流れを感じさせられた。惜しむらくは舞台がもう少しまともだったらと思わされたが。