第31回公判

自分がその立場になったらクニに帰って木で首を括って死ぬ

平成16年4月23日(金)曇
雲形池
朝、板橋駅の貨物線の敷地に薄紫色のマツバウンランが群生し、初夏の風に長い茎を涼やかに揺らせていた。
先着順の列に並んだのは10人ほどだったが、中にワイシャツ姿でメモ帳を持った官吏らしき人もいた。
曇天でしたが黄菖蒲が咲き、緑が初夏の訪れを告げている雲形池 04年4月23日
前回に引き続き大室弁護人の被告人質問はやまりん事件から始まった。
第2回公判廷で伴次長が8月5日に電話を受けたと証言しているがTELした覚えはなく、勘違いか他の人の話ではないかと聞いていた。12分の4案の話は松岡代議士から8月6日の夜に聞いていて8月7日に伴次長が官房副長官室に来た時には「それでいいんじゃないですか」と答え、全量回復しろなどとは言わない。伴次長の不満をぶつけられたとの証言は7ヶ月の行政処分が出ているのにそんなことはあり得ないと不思議な気持で聞いていた。

8月4日の400万円(検察は500万円とし賄賂として告発している)の献金を12月に返したのは産経新聞が脱法献金とか誤解を招く報道があったためだ。そして道議会議員も中川議員も返金していたので、政治資金規正法に基づいた献金を事務所が全額返金したものだ。

ヒトツバタゴ
平成9年に国務大臣になった時もやまりんの会長、社長から150万円づつ祝金を貰いお祝いの宴席も設けてもらった。関連会社の社長からも祝金を貰っている。しがしながらいずれも領収書を発行し、公共工事の話などした事がない。
やりとりの中で「林野庁は余程関心があるらしく度々現職の役人が傍聴に来ている」と皮肉まじりの弁護人発言もあった。
国会前庭のヒトツバタゴの木は雪をかぶったように真っ白い花を咲かせていました

島田建設の件に関しては島田光雄社長の口癖は「うちの会社は順調にいっている。代議士の力を借りなくても大丈夫だ」という言葉で、具体的な工事の話などは何もなかった。しかしながら年末年始の赤字補填とかパーティ券の購入とか何かにつけて応援してもらっていた。

花
島田さんが来た時たまたま後藤部長も上京していて、3者が長官室で会った記憶はある。但しこの法廷で証言されたように私がメモを渡して説明した事実はない。両者だけで話をする機会はあったと思う。
北海道開発庁長官になった後は工事の依頼を受けた事も後藤部長に依頼したこともない。私が依頼したという証言は迷惑で、島田さんが私の後援会の幹事長だったので表裏一体と考えたのではないか。
網走漁港、福島漁港の仕事なども島田建設がとって当然の仕事をしているだけだ。
平成9年9月以降何回か島田社長と会ったが、島田さんから「小遣いを持ってきた」との話はなく特別会費的献金もなかった。これは証人喚問を受ける際、全部調べたが一切なかった。

午後からの関根弁護人の質問で、平成10年6月中旬に松岡さんから連絡があって「やまりん事件は鈴木と競合関係にある北村代議士の後援企業の大沢木材が火付け役の話だから全て自分の方でやるから表に出るな」との話があった。
 取調べの時にこの事を話さなかったのは02年6月の逮捕直前に松岡代議士が毎日電話をかけてきて「もしそのような事になったら自分はクニに帰って木で首を括って死ぬ」と泣きながら何度も言ってきたからだ。
しかしやまりんや役所がおかしな証言をし、5年も6年も前の事、それもお祝いで来た事がこうも捻じ曲げられたのではと思い、真実を言う気持になったと述べた。