
北海道沖縄開発庁長官に就任した時には平成3年以来疎遠になっていた山田勇雄会長が上京し祝いの席を設けてくれた。この時の祝い金は200万円だと思っていたが、300万円だったと、内閣官房副長官就任の祝い金と主張する400万円とのバランスをとるような発言もあった。

この後11時より約6分間被告人休憩があった。薬を飲む時間で手術後の被告の人権保護の為当然だが、冷たい法廷のイメージからは少し温かい人間味を感じた。
平成9年10月から11年にかけての島田社長の上京はお金の授受を除いては事実。平成9年10月29日の港湾整備大会の日の来訪は、夏に島田社長が入院した時のお見舞いのお礼と就任祝いだと思った。工事のお願いに来たという事ではなかった。お祝い金を持って来てもおかしくないと思うが、2つの封筒に入った200万円を受け取った事実はない。
10年8月4日の官房副長官就任祝いの会食には代議士は遅れてきて、そのあとの予定もあり10分〜20分で中座した。この時吉本社長からはネクタイを貰ったが、島田社長からは何もなかった。ただ、代議士を2人で送りに出た時ポケットに自分宛の小遣い20万か30万円を入れてもらった。しかし代議士宛の小遣いを預かった事実は断じてない。
やまりんからは400万円の祝い金を受け取ったが、島田建設からは一銭も貰っていない
という鈴木被告の主張に沿った証言が繰り広げられた。
しかし忘年会の費用を負担してもらいながら、お祝いを持って来てもおかしくは無い時に何も持って来なかったとか、自分への小遣いは貰ったが、代議士には無かったなどいかにも不自然な事が多かった。
自身の公判でも同様な質疑があったらしく、不自然な内容の証言をしているにも拘らず比較的よどみなく、
時には涙声で証言していたのはあっぱれという感じさえした。