第24回公判

安心して忘年会などの費用を出してもらった

平成15年12月19日(金)晴
雲形池
風も無い穏やかな朝で傍聴希望の列に並んだのは26人。
前23回公判より弁護人側の証人尋問で、今回の証人は前回同様多田淳政策秘書。前回は友人の突然の死で傍聴できず、2回の中止と合わせると約2ヶ月ぶりで、久し振りに見る鈴木被告は顔色が少し青白く感じたが意外に元気そうだった。
昼休みの日比谷公園は空気こそ冷たかったが一点の雲もない晴天だった
関根弁護人の尋問で始まったが、証人は中川一郎のカバン持ちも務めその後鈴木宗男の秘書となった事など語られ、主にやまりん、島田事件関係の証言が行なわれた
平成9年9月に北海道沖縄開発庁長官、平成10年7月末に内閣官房副長官に就任した時には官僚からのレクチャーがメチャクチャ多く総てのアポイントの調整は前日の午前中に公務が決定した後に行い、16時か17時頃にようやく翌日の面会日程を決定できた。

北海道沖縄開発庁長官に就任した時には平成3年以来疎遠になっていた山田勇雄会長が上京し祝いの席を設けてくれた。この時の祝い金は200万円だと思っていたが、300万円だったと、内閣官房副長官就任の祝い金と主張する400万円とのバランスをとるような発言もあった。

カエデの紅葉
8月4日のやまりんの訪問の用件は官房副長官就任の祝いという認識だった。官邸で議員に面会した後事務所で祝い金を受け取った。祝儀袋は4つか5つ。領収書の宛名を書いたメモに400万円と書いてあったので、金額は間違いない。領収書の要らないお金があったという記憶はない。
散り際の日比谷公園の紅葉が明るい冬の陽射しに輝いていました 03年12月19日

この後11時より約6分間被告人休憩があった。薬を飲む時間で手術後の被告の人権保護の為当然だが、冷たい法廷のイメージからは少し温かい人間味を感じた。

島田社長は典型的な2代目おぼっちゃんタイプで社長が勤まるかなと思うほど人のいい人。業者としての頼み事はあまりしない人で、安心して忘年会の費用などを出してもらった。

平成9年10月から11年にかけての島田社長の上京はお金の授受を除いては事実。平成9年10月29日の港湾整備大会の日の来訪は、夏に島田社長が入院した時のお見舞いのお礼と就任祝いだと思った。工事のお願いに来たという事ではなかった。お祝い金を持って来てもおかしくないと思うが、2つの封筒に入った200万円を受け取った事実はない。
10年8月4日の官房副長官就任祝いの会食には代議士は遅れてきて、そのあとの予定もあり10分〜20分で中座した。この時吉本社長からはネクタイを貰ったが、島田社長からは何もなかった。ただ、代議士を2人で送りに出た時ポケットに自分宛の小遣い20万か30万円を入れてもらった。しかし代議士宛の小遣いを預かった事実は断じてない。

やまりんからは400万円の祝い金を受け取ったが、島田建設からは一銭も貰っていない という鈴木被告の主張に沿った証言が繰り広げられた。
しかし忘年会の費用を負担してもらいながら、お祝いを持って来てもおかしくは無い時に何も持って来なかったとか、自分への小遣いは貰ったが、代議士には無かったなどいかにも不自然な事が多かった。
自身の公判でも同様な質疑があったらしく、不自然な内容の証言をしているにも拘らず比較的よどみなく、 時には涙声で証言していたのはあっぱれという感じさえした。