第22回公判

対外応答要領の中止理由はあくまで対外用だった

平成15年10月24日(金)晴
雲形池
朝より秋晴れの快晴。先着順の列に並んだのは25名。中には韓国の学生達5〜6名もいた。
鈴木被告は相変わらず熱心にメモを取っていたが、証人が途中少し混乱し、言いよどんだ時には今まで見た事もないような親しげな笑顔を見せた。立候補断念で吹っ切れた事もあるのだろうか。
今回の証人はモザンビーク派遣当時の外務省国際緊急援助室長。小柄だが背筋がのびていて証言もシッカリしていた。

国際緊急援助隊の派遣は主催国を担当している地域課と連携して進め、地域課(今回はアフリカ第2課)が政策判断をし、緊急援助室は実施オペレーション部門を担当する。メンバーの具体的な人選はJICAが行う。

モザンビークへの医療チーム派遣は3月初め頃から可能性を検討、6日に正式な派遣要請を受けてチームを編成。医師を含め8名を7日に派遣する事を決定した。
カントウヨメナ
3月7日昼過ぎにアフリカ第2課長から「出発を見合わせて欲しい」との電話を受けた部下から、どうするかの指示を求めてきた。この日は午前中から昼をはさんで会議中だったが、急遽政策課長にも相談し経済協力局長の了承も得て自分自身が判断して中止の指示を流した。
関東嫁菜(かんとうよめな):薄紫の上品な花を咲かせていました 03年10月24日
見合わせの理由は鈴木代議士の了解を得られないからとの事だった。サイクロンや2次的水害が理由ではなかった。しかし政策的な判断は地域課なので実施強行は無理だった。このような出発直前の派遣中止は2年間の在任期間中、他には無かった。
7日か8日に作成した「対外応答要領」には大規模災害で現地の状況が流動的である事と新しいサイクロンが発生していた為延期したとの理由を記した。しかしこれはあくまで対外応答用のものだった。

第20回から第22回までが外務省関連の公判。鈴木宗男事件がマスコミで大きく取り上げられ、連日のように紙面を賑わしていたほとんどが外務省関係だった。ところが外務省関連の逮捕の容疑はこの偽証の件のみで終わってしまった。
でも、この偽証事件だけでも外務省と鈴木宗男の関係は尋常ならざるものだった事が明白になった。鈴木宗男の明らかな横紙破りを外務省の組織を挙げても阻止し得なかった。こんな馬鹿げた事があるだろうか。人たらしと恫喝家の両面を持つ政治家と一国の外交を預かるクレバーな外務官僚、この両者が互いの利益だけで結びついていた。国益を追求し国民の利益を図るべき政治家と官僚がお粗末極まりない田舎芝居を演じまくり、多くの人々を巻き込んだ事は厳しく糾弾されねばならない。

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