第20回公判

国際緊急援助隊の派遣を中止させたのは万死に値する

平成15年9月26日(金)曇時々晴
雲形池
今回は議院証言法違反の「モザンビークへの医療チーム派遣中止」の検察側立証で、午前中は国際協力事業団(JICA)の職員、午後は派遣予定だった医師の証言だった。

問題になっているのは医療チームの派遣を「聞いていない」という一言で中止に追い込んだ事を、証人喚問で「私が反対するだとか、私がどうのこうの言うことは考えられない」と偽証した件だ。しかしながら2人の証言を傍聴した私は何よりも派遣を直接中止した外務省にたいする怒りが納まらなかった。

JICA職員の証言要旨

JICAは外務省の下部組織として種々の事業を行っているが、発展途上国の災害救助活動の一つ、医療チームの派遣は被災国から派遣要請があった場合は48時間以内に出発できる体制になっている。今回のアフリカ・ モザンビーク医療チームの派遣要請は2000年3月6日に指示され、翌7日夕出発で準備された。
医療チームは通常医師3、看護士6、医療調整員で構成されるが総てボランティアで実費以外の報酬は無し。600名近くの登録があり、派遣が決まるとすぐ全員にFAXを流し希望を募ってチームの編成を行う。
ヒガンバナ
今回は8名の参加が決まり、7日18時05分成田発の航空機の手配も完了。当日は午前中に4人が緊急援助隊事務所に集合、あとの4人は成田に直接集合でスタンバイしていたところ、突然に13時頃鈴木議員の了解が得られず中止との連絡があった。

翌8日、鈴木議員が止めたというのはいかにも具合が悪いから9日に先遣隊4名を出して欲しいとの要請があり、参加を呼びかけたが医師がおらず3名のみで出発した。結局17日に本体が合流し首都から北東へ約200キロのホクウェ村で緊急医療活動を行い28日に帰国した。

トロロアオイ

K医師の証言要旨

K医師は国際緊急援助隊医療チームに創設第一期生として参加し、緊急援助活動をライフワークと位置づけている。1985年のメキシコ地震をはじめ2001年のインド西部地震等過去4回の援助活動に参加し、緊急医療活動を行ってきた。
6日夕に翌日から10日間モザンビークへ参加して欲しいとの要請を受け7日の午前中に勤務先の病院でのスケジュールの変更・調整を行い、14時頃タクシーで東京駅へ向おうとした時に中止の連絡を受けた。8日に9日より参加して欲しいとの要請があったが再々度のスケジュール調整は非常に難しく見合わせざるを得なかった。

スタンバイしていても相手国の事情により出発できなく中止の場合もあるが、今回の派遣中止の理由については納得できない。「聞いていない」との事での中止は絶対に違う。この中止により一番大きな影響を受けたのはモザンビークの被災者であり、実質1週間の遅れを来たし、7〜8人が亡くなっている。人道援助という立場から責任は重い。派遣を決定した以上外務省は毅然として欲しかった。今後は決してこうゆう事があってはならないと思う。ときっぱりと述べていた。

私は、単なる証人としてではなく緊急医療援助をライフワークとする人の真実の声を聞いた気がした。
2人の証言を聞いていてどうしても納得がいかなかったのは、派遣ボランティアがぎりぎりの調整で参加する事を熟知している外務省が有力議員とは言え鈴木宗男の一言で派遣中止を決定した事だ。どこかの知事の言葉ではないがこの中止を決定した外務省の役人は万死に値する。

最後に弁護人が「今回の証言は伝聞によるものが多いとの主張をした事を記録に残して欲しい」と言っていた。
しかしながらこうゆう事については特に現場の人達の言葉は真実を言い当てているものだ。

※JICAは平成15年10月1日より 「独立行政法人 国際協力機構」に名称変更されました