第16回公判

要望はお聞きしたけれど大臣に頼むような事は困る

平成15年7月11日(金)曇一時晴
雲形池
朝方は曇天だったが、お昼に日比谷公園方面に行った時は眩いばかりの夏の太陽が輝いていた。しかしながら 16時30分頃閉廷した時には小雨がぱらつく変わり易い天候の一日だった。
傍聴希望者32名。特にラフな格好の若者が目立ち、役人風のサラリーマンも多かった。
夏の日差しをいっぱいに受けて、明るく輝く雲形池の鶴の噴水

本日の証人は島田建設の港湾工事受注時の北海道開発局港湾部長。いわゆる官製談合といわれる発注方式の 官側の責任者だった。

島田建設の件で鈴木からアプローチがあったのは計5回だったと述べ、そのそれぞれについて細かい証言がなされた。核心は第4回目の平成10年1月23日の長官室での事柄の証言だった。島田社長も同席していた席で、鈴木から「昨日も言ったけどとりたい工事を整理して持ってきた。よろしく頼むよ」と島田建設の希望工事名を入れたメモを渡された。
ラン

組織と仕事の流れについての概略の説明もされた。
開発局港湾部には下部組織として各地区別の開発 建設部があり、仕事は港湾漁港工事だった。工事の金額に応じての入札が原則で、9年、10年は各工事毎に難易度、技術力、バランス、受注実績を勘案して受注業者を選定し、建設業協会に通知していた。

これは適正な工事が行われ、業界も無理なく発展する為の調整で、決してマスコミで騒がれているような不正な談合ではなかった。官製談合という言葉はマスコミの造語に過ぎない。この受注調整については鈴木も知っていた。
チュウサギ
午後からは長官になる前から「あの業者には受注させるな。この業者にしろ」等と色々電話があった事も述べられた。そして長官時代には「S建設部長はオレに歯向かってきた」「S君は行儀の悪い奴だ」「S君を勇退させろ」等と言い、この時には異例の開建部長全員の交替が行われたとも語られた。

検察官の尋問に応えて、島田社長に電話をして港湾部長室で会った事があるとの証言もされた。
その時の真意は「要望はお聞きしたけれども、大臣に仕事を頼むような事は困る」との事を言いたかった。でも婉曲的な表現をしてしまったので、結果的には真意が伝わらなかったようだ。と苦しい証言だった。

ムラサキ
まさにこの証言。鈴木のような上司を持った場合、仕事への忠誠心と上司との関係で思い悩む。 この時は将に両者の葛藤のハザマだったのだろう。
官製談合や天下りという言葉に対する異常な反発、現在在籍している企業名は迷惑を掛ける恐れがあるので言いたくないとの言葉。
暗転してしまった現実に忸怩たる思いの証言台だったのではなかろうか。
アフリカ原産のユリ科のアガパンサス。明治中期に渡来し和名はムラサキクンシラン(紫君子蘭)